37歳で初めて挑む将棋界最高峰の舞台、名人戦。その挑戦権を掴んだのは、プロ棋士・糸谷哲郎八段だ。大学院で「哲学」を研究していた異色の経歴を持つ彼は、自らの将棋人生をこう語る。
「広島で培ってきた自分の将棋の、集大成ではないですけれども、悔いなく指せる対局になればいいなと思っています」
幼稚園で将棋と出会い、17歳でのプロ入り、そして竜王獲得。輝かしいキャリアを歩む一方で、早くから将棋界の未来を憂い、現在は日本将棋連盟の理事としても活動する。
絶対王者・藤井聡太名人を前に、彼は何を思うのか。広島の地で育まれた独自の感性と、ベテランとして積み重ねてきた経験のすべてを懸ける戦いが、始まろうとしている。
■「カウンター型だと思います」広島が育んだ自由な個性
糸谷哲郎と将棋の出会いは、幼稚園の頃に遡る。テレビか何かで耳にした「将棋」という未知の単語。それが何なのかわからず、父に尋ねたのがすべての始まりだった。
「何か分からなかったので、親に聞いてという形です」
ルールを教わると、その世界にのめり込んでいった。しばらくして通い始めた「広島将棋センター」が、彼の主戦場となる。そこには年上で強い人ばかり。少年は、負ける悔しさをバネに強くなっていった。
「やっぱり負けて悔しくて、それで強くなっていくという、その繰り返しですね」
小学生の低学年の頃には県内の大会で優勝するようになり、次第に頭角を現していく。プロ棋士の養成機関である奨励会に入るまでは、自分より年下で強い子を見ることはほとんどなかったという。
その強さの源はどこにあるのか。自らを天才型ではなく、環境に恵まれた「努力型」だと分析する。そして、その環境こそが、彼の唯一無二の棋風を育んだ。
「ほかの地域に比べて広島は自分の個性をそのままにすると言いますか、自由にさせてくれるんですよね」
決まった定跡を教え込むのではなく、まずは自由に指させて、それをそのまま育てる。それが広島の教育方針だったと振り返る。その中で、糸谷哲郎という棋士の核となるスタイルが形成されていった。
「カウンター型だと思います。基本的には攻められてるほうが多いんですけど、攻められてるうちに、どうにかどっかで勝機を見出してカウンターするみたいな、はい、タイプだと思いますね」
守り、粘り、逆転する。幼い頃に攻められ続けた経験が、今なお得意とするそのスタイルにつながっている。攻められている方が、かえって手が見えやすい。窮地に立たされても簡単には諦めない勝負術は、この広島の地で培われたものだ。
■「高いレベルでの戦いに1つ結果を出せた」栄光と将棋界へのまなざし
県大会で優勝し、全国の舞台で戦うようになると、自然と「より上と戦いたい」という気持ちが強くなっていった。17歳でプロ入りを果たすと、その勢いは止まらない。18歳で新人王を獲得。しかし、その受賞インタビューで、彼は周囲を驚かせる発言をする。
「将棋界は斜陽産業だ」
若き俊英の発言の真意はどこにあったのか。
「将棋って結構あのー、まあ百年前とかは娯楽、ゲームっていうジャンルがほんとに囲碁将棋が主だったんですけど、この時代って非常にたくさんの娯楽が存在しますよね。そうした中でやっぱり将棋っていうのはある程度パイを持たなければならない。どうしても産業ですので」
娯楽が多様化し、子どもたちの数も減っていく中で、構造的な問題を冷静に見つめていた。その視線は、19年経った今も変わらない。現在は日本将棋連盟の理事として、業界の舵取りの一翼を担う。
「伝統文化とエンターテインメントの両立というのが非常に大きな課題なのかなと思っています」
プレイヤーとしてだけでなく、「見て楽しむ」ファンが増えたことも大きな変化だと捉えている。伝統を守りつつ、エンターテインメントとして多くの人に届ける。その両軸から、将棋の未来を切り拓こうと奮闘している。
プレイヤーとしても、26歳の時に大きな栄光を掴む。将棋界最高峰のタイトルの一つ、竜王を獲得したのだ。
「棋士がまず始め目指すタイトルを取るということな方が多いので、その中1つ自分にとっても手が届いたという思いもありましたし、まあ高いレベルでの戦いに1つ結果を出せたというのは非常に嬉しかったですね」
広島県出身棋士としては久しぶりのタイトル獲得。故郷からは多くの祝福が届いた。お世話になった人々が喜んでくれる姿を見て、「ちょっと恩返しができたのかな」と感じたという。それは、将棋をやってきて良かったと心から思えた瞬間だった。
■「若手とは違うところを見せていくしかない」ベテランの矜持と戦略
そして今、37歳で初めて名人戦の挑戦者となった。
「タイトル戦出る棋士としてはだいぶ上のほう」と自覚する年齢での大舞台。名人戦は、リーグ戦を勝ち抜かなければ挑戦できず、棋士になってから最低でも5年はかかる。瞬間的な強さだけではない、長年の実績が問われる特別な棋戦だ。
「自分が培ってきた将棋人生が問われてるということも言えるかもしれませんね」
その前に立ちはだかるのは、藤井聡太名人。八冠ではなくなったものの、依然6つのタイトルを持つ絶対王者だ。
「本当に強い方で、やっぱり若いし、ほかの棋士が読んでることよりも深く広く考えておられる。本当に名実ともに将棋界の第一人者」
対戦成績は、これまで1勝9敗と大きく負け越している。0勝8敗までいった時は「引退まで勝てるかなぐらいの勢いでした」と冗談めかすが、最近挙げた1勝は「心持ちは違う」と語るように、大きな意味を持っていた。
近年、将棋界は若年化が進んでいる。藤井名人をはじめ、タイトルホルダーは20代前半の棋士が中心だ。自身より年下の棋士と対戦することが圧倒的に多くなった今、戦い方にも変化が求められる。
「自分より若い方っていうのは当然ながら自分より瞬発力がまだ維持されていて、終盤も読めるってことを前提にしてるんですね。なんでまあベテランは老獪さとかそういったとこで戦っていかなきゃいけない」
自分が若い頃より衰えている部分と、逆に良くなっている部分。その両方を認めながら戦略を立てるのがベテランの難しさだと語る。野球で例えるなら、若い頃のような速球は投げられなくても、配球や駆け引きで勝負するようなものだろうか。
「若手と同じ戦略やっててもやっぱり若さに勝てないのかなという思いはありますね。若手とは違うところっていうのをやっぱり見せていくしかないのかなと思ってます」
その対抗策の一つが、彼の持ち味でもあるトリッキーな将棋だ。誰も見たことがないような局面に持ち込むことで、若手にはない経験の差、総合力で勝負を挑む。それは、広島の自由な空気の中で育まれた「新規性」を好む彼の本質とも重なる。
■「創造」の二文字を胸に、広島の魂を懸けた戦いへ
広島県出身棋士が名人戦に挑戦するのは、実に55年ぶりの快挙だという。
「非常に名誉なことだと思ってますし、精一杯、広島の皆さんにも楽しんでもらえるように頑張ってまいりたいと思います」
同じ広島出身で、名人への夢を果たせぬまま29歳で夭折した兄弟子・村山聖九段。一門の先輩である彼の思いも背負って、この大舞台に臨む。
インタビューの最後に、名人戦への思いを色紙に書いてもらった。そこに記されたのは「創造」の二文字。
「自分なりの将棋を作り上げていただきたい、いきたいという意味で想像と書かせていただきました」
常識にとらわれず、自分だけの将棋を創り出す。それは、彼の棋士人生そのものを表す言葉のようだ。広島で育まれた自由な精神と、ベテランとして積み上げた知恵と経験。そのすべてをぶつけ、将棋界の歴史に新たな一ページを刻む。