「ミスタープロ野球」の愛称で親しまれた長嶋茂雄さんが3日亡くなりました。89歳でした。
70代「チームを超えてファンが多かった。プロ野球の人気を作った人なので残念」
20代と40代「誰でも野球を知らない人でも知っているような人なのでびっくり。ショックです。感じの良い人だったから」
60代「私の兄がシゲオと言って同じ長嶋茂雄から名前をもらったと聞いているので、そういう方が亡くなってひとつの時代が終わったのかな」
1958年、巨人軍に入団した長嶋さんは勝負強い打撃を武器にプロ通算444本のホームランを記録するなど、昭和のプロ野球を席巻しました。
広島東洋カープ 新井貴浩監督「私の中ではテレビの中のスーパースター。私が2年目の時にキャンプで日南に来ていただいて守備を教えていただいた。その時にすごく緊張していたのを覚えている。ショックですしびっくりしています」
元カープのエース外木場義郎さん。長嶋さんとは何度も対戦経験があります。
元カープ投手 外木場義郎さん「ほかのバッターとは違う何かを感じるんですよ、バッターボックスに立ったら引き込まれていくようなイメージ、ほかのバッターにはそういうことはない」
「V9」真っただ中の巨人相手にもノーヒットノーランをした外木場さんでも印象に残っているのは長嶋さんの“勝負強さ”です。
外木場義郎さん「一番感じたのは『意外性』がある。他の人では手を出さないようなボールを強引に打つ。長嶋さんだからできたことで並みのバッターではできない。すごいバッターだったと覚えている」
老舗の流れをくむ中華料理店です。看板メニュー「牛テールラーメン」のスープは現役時代の長嶋さんも愛した味です。
「麺工房 東海」王明春店長「これが僕が高校2年くらいのとき市民球場で撮った写真です」
店がまだ中区にあったころ遠征で広島にやってくる長嶋さんは決まって店に食べに来ていたそうです。
「麺工房 東海」王明春店長「ナイターだとランチ時に食べに来られる、試合が終わった後でも食べに来られることがあったが、お酒も飲まずに食事だけをメインで食べられていつもサイダーを出して、お酒は基本的には飲まれなかった」
印象に残っているのは試合に勝った日も負けた日も変わらない優しい姿でした。
「麺工房 東海」王明春店長「店の隅で食べているところに料理を持って行くと声をかけてくれたり、高校生の時でも『大学はどうするんだ』とかお話していただいたり、声をかけていただかなくても当たり前の状況でも必ず優しく接してくれましたね」