広島市南区の猿猴橋町を通って荒神橋を渡る広島電鉄の猿猴橋ルートは、路面電車が開業した大正元年(1912年)から広島駅を発着するすべての路線が通ってきました。
レールを走る電車の音は昼も夜も人々の日常に溶け込んでいました。
こちらの金融機関も昭和初期から路面電車と共に歩んできたといいます。
広島信用金庫広島駅前支店 倉田真治支店長「原子爆弾が投下されたが、その時も旧店舗は被爆の被害に耐えてそのまま残った。路面電車も莫大な被害を受けたが、原爆を受けた後から広島駅前エリアの復興をともに支えてきた。一言でいうと寂しいという面が強いが、廃線になって新しくにぎわいを演出する整備がされるので、どうなるか楽しみにしている」
路面電車の開業よりも前、明治34年創業の理髪店は。
メンズサロン・アキノブ 秋信隆さん「うちに来るお客さんが利用していました。広島駅まで行くと割と遠いから、猿猴橋で降りてここへすぐ来られる」
秋信さんは電車が大好き。
いろんな種類の車両が見られるのが魅力だといいます。
秋信さん「この電車(100形通称:大正形電車)が割と早くに復刻されたじゃないですか。あれがいいですね、かわいいから。100番台を連れてきてくれんかなと思ってね、(新ルート)開業の時に。あれが欲しいんですよ、写真が」
記者「完全に8月3日は…」
秋信さん「いやいや、仕事します。月曜日ならいいんですけどね、4日なら。1日ずれました」
この町の人々にとって路面電車の姿を見ることが日常の風景でした。
秋信さんは、大正から令和までの写真や路線図をまとめた本を自作しています。
秋信さん「これでラストなんですよこの本は。ここの地図で最後ですから、猿猴橋が載っているのは」
記者「若干寂しさがある感じはしますね」
秋信さん「そうですね。やっぱりあったのがなくなるわけですから。だからこの時点でこの写真集は一つの区切りで終わらせたいと思いました」
昼下がりの猿猴橋町には、いたるところで写真を撮る人の姿が。
鳥取から来た中学2年「併用軌道を走っているのとか、数少ない公営じゃない私鉄の路面電車なんで、そこが好きです。ここが無くなるのはちょっと残念だけど、ここが混雑しなくなるのもあるし、上で走っている路面電車も結構新鮮なので楽しみです」
一眼レフを片手に電車を撮りまくる女性たちも。
記者「すみません、今写真撮ってました?」
女性「電車の写真を撮ってました。学校の課題で、猿猴橋町の駅がもうなくなるということで撮りに来ました。近くにある専門学校のグラフィックデザインコースの1年生40人が夏休み前の最後の講義で、懐かしさと記録をテーマに猿猴橋町と路面電車の撮影に挑戦していました」
古武家「見せてもらってもいいですか。ああーなるほどね、これのテーマはずばり?」
生徒「や、躍動感…笑」
人々の日常に溶け込んでいた、猿猴橋ルートの風景も2日で見納めです。