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被災地石川から甲子園へ 地元東広島市で自主練習する高校球児の思い

広島

石川県の学校から甲子園出場を目指す広島出身の高校生がいます。しかし元日の地震をうけてチームは離れ離れに。それでも夢を諦めない高校1年生の思いです。

東広島市にある野球スクールでひとり黙々と打ち込む高校球児。広島出身で被災した石川県の高校に通う1年の櫻井成さんです。

日本航空石川1年 櫻井成さん「野球ができることが当たり前だと思っていたんですが、今石川に帰れなくて野球ができることが当たり前じゃないということを実感しました」

甲子園出場経験もある日本航空石川の野球部員たち。しかし、その練習している場所は自分たちの学校ではありません。震度6強を観測した石川県輪島市で被災した日本航空石川。野球部は去年秋の北信越大会でベスト4に入った強豪校です。センバツ出場の可能性もあるためおよそ半分の部員が山梨にある系列校に生活の拠点を移しました。去年の12月24日以来となる全体練習が行われました。声を掛け合いながらキャッチボールやノックを受ける姿も。

日本航空高校石川野球部 福森誠也さん「日本航空石川としてがんばっている姿を被災地の皆さんに届けて勇気や元気を届けるということを強く思っているので震災前と変わらずにいつも通り一生懸命がんばっていきたい」

練習終わりの晩ご飯では育ち盛りの高校生たちのためにご飯は山盛りに。寮で続いていた仲間たちとの集団生活が戻ってきました。

まだ全員が集まることはできませんがチームは1つです。

日本航空高校石川野球部 中村隆監督「みんなで同じ釜の飯を食って裸の付き合いをしてやってきたけど今は離れ離れに。心がバラバラになっては元も子もないので」

チームと離れ地元・東広島市の野球スクールで練習をする櫻井成さん。遠く離れていも思いはチームと一緒です。

日本航空石川1年 櫻井成さん「自分はそこ(山梨)に行っていないので、いつかは追いついて追い抜かしたいので人の倍振りたいと思う気持ちで毎日打っています」

中学1年のとき地元の硬式野球クラブチームで野球を始めました。小学生のときテレビで甲子園の試合をみたことがきっかけで日本航空石川に進学。甲子園出場を目指し寮生活を送っていました。

しかし元日に石川県をおそった最大震度7の地震。実家に帰省していて広島の家族と初詣の帰り道でした。

日本航空石川1年 櫻井成さん「本当は1月3日に会う予定だったんですけど、地震があって会えなくてもちろん野球もできないのでとてもさみしいです」

先生や同級生からは輪島市で被災した学校の様子が次々と送られてきました。

櫻井成さん「いつもとまったく違う石川県の様子が流れてきて言葉がその時は出ませんでした。地震のあとすぐには(仲間の)安否が確認できなかったのでとても不安な気持ちでした」

2週間が経っても学校へは戻れず、授業はオンラインで再開されました。教科書はなく東広島の実家でスマートフォンを相手に午前中3時間の授業を受ける毎日です。

櫻井成さん「授業中の笑い声とかも和んだなかでの授業ができると思っていたんですけど、やっぱそういう状況になってしまって寂しい気持ち」

満足に練習できない状況に手を差し伸べたのが中学のころクラブチームで指導していたコーチの森兼さんでした。

東広島ボーイズ 森兼堅二コーチ「心配して連絡した。本人が決めたので最後までやりぬいてほしい」

週3日マシンを相手に2時間のバッティング練習ができるようになりました。

父 櫻井泰弘さん「(学校へ戻るまで)自分にできることをやりなさいといっているので、前向きに頑張ってもらえればと思っております」

26日に出場校が発表される春の甲子園・センバツへ被災した石川や支えてくれる人の思いを胸に夢への挑戦が続きます。

日本航空石川1年 櫻井成さん「高校が選抜の候補にも入れてもらっているので、チーム全員で勝ち進むことが石川県の被災された方の勇気や元気になるかなと思ってそのような気持ちで打っています」