甚大な被害が出た災害からの4年間を遺族も様々な思いで過ごしてきました。
家族2人を失い地元を離れたものの、ことし被災した同じ場所に戻ってきた男性がいます。
災害から4年、街の変化に抱える思いがありました。
坂町小屋浦に住む水尻忠道さん(60)。
水尻忠道さん「4年が経ちました。すごく早かったですと言いたい」
4年前の豪雨災害で同居していた母・キク子さん(当時85歳)と叔母・須磨子さん(当時82歳)を亡くしました。
水尻さん「(4年で)墓から見る景色が変わった。全然風景が違う。やっぱりこの時期が来ると特に思い出します」
小屋浦地区では土石流が住宅地を襲い15人が死亡、今も1人の行方がわかっていません。
水尻さんの自宅にも土砂が流れ込み、およそ60年間の思い出が一瞬にして奪われました。
家も家族も失った水尻さん。
たった1人広島市内の仮設住宅で3年間過ごし、強くなったのは故郷への思いでした。
2年前の水尻さん「(小屋浦に)帰りたい気持ちが強くなった。生まれたところで、空気が良くて、自然が豊かで」
そして、7月6日…
防災無線「豪雨災害から4年を迎えました。黙とう。」
4年前に被災したその場所に新たに家を建て、初めての7月6日を迎えました。
2月に引越してからは家庭菜園が生活の楽しみです。
水尻さん「このナスはうちのよ。このナスとシシトウはね。手間をかけるから育てる楽しみがある、もちろん食べる楽しみも」
あれから4年。街の復興は進んでるようにも見えますが、目に映るのはかつてとは違う小屋浦です。
水尻忠道さん「もう少ししたら帰るよという情報があればいいけど、全くそんな情報がないので当分このままかなと思っています。あるものがないのは寂しい」
小屋浦では西日本豪雨以前に比べて4年間で人口が266人減少しています。
水尻さんの自宅の周りにも10軒近くの家があったがほとんどが戻れていない状況だそうです。
水尻さんは人口が増えて初めて復興したといえると話しています。