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【戦後80年】「平和を祈り踊り続ける」 広島出身バレリーナの“決意”

社会

 今年は戦後80年です。日本バレエ界の第一人者として、70年以上も舞台に立ち続けるバレリーナの森下洋子さん(76)。広島出身で、被爆2世でもある森下さんにはある“決意”がありました。

バレリーナ 森下洋子さん
「原爆が落とされた真下で生まれた広島の人間ですから、やはり平和ということ、それをテーマに祈りを持ち続けていきたい」

 昭和・平成・令和と日本のバレエ界を牽引(けんいん)してきた、バレリーナの森下洋子さん。

 1974年にバレエの国際コンクールで日本人として初めて金賞を受賞し、パリオペラ座など世界の多くの舞台で主役を踊った日本を代表するバレリーナです。

 バレエ歴は今年で74年。バレリーナは40代から50代で引退する人が多いなか、76歳になった今もトウシューズを履き、主役として舞台に立っています。

 「バレエは人生そのもの」踊り続ける理由の1つに“ある決意”がありました。

 80年前の8月6日、森下さんの祖母と母は広島で被爆しました。

 終戦から3年、広島市内で生まれた森下さんは被爆2世です。

「(Q.戦争や原爆は身近に触れることは多かった?)もちろんです。身内に被爆した祖母がいる。母もそうですし、祖母がものすごく被爆して、半身被爆していましたから」

 祖母は、爆心地のすぐ近くにいたため、体の半分に重い後遺症が残りました。

「手もくっついたままで。原爆病院で(指を)離してもらったけれど、やっぱり使えないかなって言いながら『でも親指は使えるわよね』って」

 後遺症があっても、前を向いて生きる祖母に、勇気や希望をもらったという森下さん。

 同時に、祖母が入院する原爆病院を訪れた時にひどいやけどや痛みに苦しむ大勢の人を目の当たりにして感じたのは「こんなことがあってはならない」ということ。それが、平和への決意の原点になったといいます。

「人々が自分ひとりではなく、多くの人々と愛することや助け合うことや思いやることを考えていたら、核兵器は必要なくなると思う」

 病気がちだった体を強くするために、3歳から始めたバレエ。平和な世の中だからこそできるバレエに、その決意を込めています。

 戦後80年が経ち、世界では再び、戦争の足音が聞こえる今「バレエを通して平和を伝えたい」。

「戦争はあってはならないことなんです。なぜ人と人とがそんなことをするの?そうじゃなくて、もっと皆でお互い助け合ったり、分かち合ったりしましょうよ。このバレエという素晴らしい芸術をもって、皆さまに夢や希望やロマンや、そして勇気、思いやることの美しさ、そういうものをどんなことがあってもお届けし続けたいなって思う。平和になることを祈り、平和に絶対するという強い気持ちを持ち続けて、踊り続けていかなければいけないのではないかな。私自身、バレエを踊っている大きな使命のひとつだと思う」