広島大学副学長 大学院教育学研究科教授 丸山恭司

photo
photo
photo
photo

 

四枚の写真があります。どなたの写真かお分かりになりますか。いずれの写真も19世紀から20世紀にかけてウィーンに住んだ人々のものです。父親とその子どもたちであり、ウィトゲンシュタイン家の人々です。
 口ひげの男性が父親で、名はカール・ウィトゲンシュタイン。鉄鋼王として知られた大富豪です。娘マルガレーテの絵はクリムトによって描かれました。ピアノに向かうのは息子のパウロ。戦争で右手を失った後は左手のピアニストとして活躍します。末っ子のルートウィッヒは、TIME誌によって「20世紀で最も重要な100人」の一人に選ばれた哲学者です。オーストリアからは、他にヒットラーとフロイトが100人のなかに選ばれています。

ウィーンのウィトゲンシュタイン家

photo

 父カールは一代で財をなした企業家でした。加えて、ウィーン分離派(ゼツェシオン)会館の建設に資金援助をし、邸宅に音楽家らを招いては私的な音楽会を開く、芸術家のパトロンでもありました。
 カールは4人の女の子と5人の男の子に恵まれます。最高の文化環境で育った子どもたちはいずれも類い希な音楽の才能をさらに伸ばすことができました。しかし、年長男子3人はいずれも自殺してしまいます。長女ヘルミーネは家から出ることなく家族を支え、三女のマルガレーテは米国人の資産家と結婚して、外交界で活躍しました。四男パウロは著名な作曲家に左手のためのピアノ曲を高額で依頼し、プロのピアニストとして成功します。五男ルートウィッヒは遺産をすべて放棄してケンブリッジ大学で哲学の教授となります。
 ウィトゲンシュタイン家は二つの世界大戦により、その力を失いました。ユダヤ人家系であると認定された後、娘たちはその資産を守るために闘いますが、ウィトゲンシュタイン家の運命は帝国(そして共和国)の都ウィーンの衰退とともにありました。

1920年代のウィーン

1920年代は、とりわけヨーロッパにおいて政治的にも文化的に大変興味深い時代です。第一次世界大戦と第二次世界大戦の間、いわゆる戦間期であり、新しい時代を迎えた高揚感と、民主主義と共産主義とファシズムの間の新たな対立に懸念と不安感が漂い始める時代です。交通と通信の発達による国際化が進み、ベルリン、パリ、ロンドン、ウィーンといったヨーロッパの主要都市において、また、ニューヨーク、東京、上海等においても大衆文化が台頭するエネルギーに満ちた時代でもありました。
 とりわけ1920年代のウィーンは、伝統文化と革新文化が入り乱れる新時代の実験場であったと言えるでしょう。大戦に破れ、ハプスブルク王朝が崩壊し、社会民主党が政権を握ります。いわゆる「赤いウィーン」の時代です。巨大帝国は弱小共和国に縮小され、市民の生活が困窮を極めるなか、労働者のための住空間を改善すべくカール・マルクス・ホーフ等の集合住宅が建設され、ウィーン大学の科学者らが社会改革をも標榜する思想運動を興し(ウィーン学団の統一科学運動)、元学校教師の教育行政官オットー・グレッケルが進めた学校改革によって、ウィーンは新教育のメッカとして世界中から視察団を迎えることになるのです。

photo
photo
photo

 
 

ルートウィッヒの1920年代

photo
photo

第一次世界大戦に志願兵として従軍したルートウィッヒは、イタリアで捕虜生活を過ごした後、『論理哲学論考』を出版します。この本によって哲学の問題はすべて解消したと考えたルートウィッヒは、グレッケルの指導下にあったウィーン市教員養成学校に通い、希望して山間部の学校に赴任します。しかしながら、体罰事件を起こして退職、姉マルガレーテは弟に何か専念できることをとの思いから居宅の建設を任せて、現代様式の邸宅が建ちました。ルートウィッヒは、この間、ウィーン学団の科学者らと交流するとともに、哲学の問題がいまだ残されていることに気づき、ケンブリッジにて哲学を再開します。彼のその後の哲学は子どもの言語学習を事例として用いるユニークなものとなります。

1920年代ウィーンを考えることの意味

photo

第一次世界大戦を反省したはずのウィーンが第二次世界大戦によってほとんど破壊されてしまいます。私たちがその「失敗した反省」から学ぶべき点はいくつもあるでしょう。ウィーンにおいて特異な位置づけにあったウィトゲンシュタイン家の人々が1920年代をいかに生きたのかを問うことを通して、その学ぶべき点がいくつも浮かび上がってくるのです。

 
 

photo

広島大学 副学長 大学院教育学研究科教授 丸山恭司氏

(プロフィール)
広島大学副学長(交際交流)、国際センター長、大学院教育学研究科教授。専門は教育哲学、教育倫理学。フロリダ州立大学博士課程修了(2000年)。博士。
ウィーン出身の哲学者Ludwig Wittgensteinを中心に、1920年代ウィーンの精神史も研究対象。調査や学会参加のため、ウィーン、グラーツ、ザルツブルクの他、キルヒベルク・アム・ベクセルも訪問。

photo講演中の丸山氏(2017年8月)