オーストリアはヨーロッパの中央に位置し、国土は約8.4万平方キロメートルで北海道とほぼ同じ位の広さです。人口は約830万人でドイツ、スイス、イタリア、チェコ、ハンガリーなど8つの国と国境を接し、首都ウィーンを始めチロル州やザルツブルグ州など9つの州で構成されている連邦共和国です。
言語はドイツ語で、ゲルマン民族を中心とした国ですが、宗教的にはキリスト教が中心でカトリック約78%を占め、プロテスタントが約5%などとなっています。

国旗の赤と白は、12世紀末の十字軍の遠征の際、当時のオーストリアの大公レオポルト5世の純白の軍服が敵の返り血で真っ赤に染まり、ベルトの下だけが白く残ったという故事からきています。

国章は第一次世界大戦後からオーストリアの象徴として使用されています。かつてのオーストリア・ハンガリー帝国の国章でハプスブルク家の家紋でもあった双頭の鷲は、頭ひとつの鷲に置き換えられています。鷲の胸には、オーストリアの国旗のデザインの元となったオーストリア大公国の盾があり、鷲の爪は金の鎌と金のハンマーを握っています。鷲の頭に載っている王冠は、当時のオーストリアを代表する「三つの階級」(労働者、農民、ブルジョワ)の統一を意味するものです。鷲の両足につながっている切れた鉄の鎖は、ファシズムからの解放を意味しており、第二次世界大戦後に付け加えられたものです。

歴史的には中央ヨーロッパに1278年から約650年間ハプスブルク家の帝国として存在し、第一次世界大戦まではイギリス、ドイツ、フランス、ロシアとならぶ欧州の五大国の一角を占めていました。

1918年、第一次世界大戦の敗戦と革命により1867年より続いたオーストリア=ハンガリー帝国が解体し、面積も現在の広さの共和国となりました。

そして、1938年にナチス・ドイツに併合され、第二次大戦後の1945年から1955年にはイギリス、フランス、アメリカ、旧ソ連の連合軍による分割占領の時代を経て1955年に永世中立国として再スタートし現在に至っています。

オーストリアは中立政策と東欧と西欧の接点的な要素や地理的な背景から、OPEC(石油輸出国機構)など国際機関の本部も置かれ、年間数多くの国際会議が開催されています。また、ウィーンはニューヨーク、ジュネーブに続く第3の「国連都市」としてIAEA(国際原子力機関)やUNIDO(国連工業開発機構)の本部なども置かれています。

1995年には「EU 欧州連合」に加盟しヨーロッパ各国との連携も深めており、通貨もユーロが導入されています。

今のオーストリアにはハプスブルク家が残したのは歴史的な遺産だけでなく、その領土であった中央ヨーロッパの各地からもたらされた様々な文化や食生活などにも大きな足跡が残っています。

多民族と交流してきたこうした歴史的な背景からクラシック音楽などの芸術面を中心に幅広い多彩な文化を醸成してきました。

音楽と芸術の都で文化的な色彩の強いウィーンを始め、スキーや登山など大自然の色彩の強いチロル・アルプスさらにサウンド・オブ・ミュージックの世界が広がるザルツカンマーグートなど、小さな国の中に、いろいろな魅力がたくさんあります。

何度訪れても、飽きることのない、魅力一杯の国です。

皆さんも是非一度訪れて見ませんか?

 

オーストリア名所[1] -フンデルトヴァッサー設計ゴミ焼却場-

ゴミ焼却場がウィーンの名所となっています。芸術家フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー設計ゴミ焼却場です。フンデルトヴァッサーはウィーンのガウディといわれています。br 焼却場は92年、現在の姿に生まれ変わりました。ここでは「ウィーンの市から出るゴミの3分の1(1日約800トン)をこの工場で処理しており焼却した余熱でウィーン市内の25万世帯と周辺のオフィスや工場など約5000箇所に暖房を供給しています。 そして「ダイオキシンが全く検出されない世界で最も清潔な焼却場で、毎年世界中から環境問題の専門家や関係者などおよそ5000人の見学者訪れるとのことです。 なお、大阪市内にも同じフンデルトヴァッサー設計によるゴミ焼却場があります。 ごみ焼却場は市民にとって絶対に必要な施設ですが、同時に迷惑施設もあります。しかし、芸術と環境問題を組み合わせて解決した素晴らしい作品ともいえます。 さすが芸術の都ウィーンならではの話ですね。

 

オーストリア風景