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#115 昭和の地図で痕跡探し〜呉〜

2011年11月26日

今回は、人気企画「昭和の地図で痕跡探し〜呉〜」の特集です。 ナベさんと大ちゃんが手にしたのは、呉市の昭和14年の地図。
第2次世界大戦前、呉海軍工廠も置かれ、人口40万人を誇る、最も栄えていた頃の地図。
まずは、この地図を包装紙に使っているお茶屋さんへ。この包装紙を頼りに自分のルーツを探しに来た人との出会いもあったとか。

この地図には、海軍の痕跡が見え隠れ。
「ロック」=“岩越旅館”のこと。では、「フラワー」は?
これらの呼び名、実は、海軍の隠語として使われていたものなのです。
当時「メイ」と呼ばれていた料亭“五月荘”が現存。当時の話をうかがいます。
秋山真之が描いた海図や、海軍で使用していた電球、当時のカフェや芸者さんなどのパンフレット、出兵前夜に書いた辞世の句などが残っている五月荘。ここには、真珠湾攻撃前夜を過ごした7名の最期の夜もありました。

また地図をよく見ると万年筆のペン産業が多く記されています。海軍があったため、ハイカラな文化が栄えたとか。そこには、あのセーラー万年筆製作所の名も。

今の本通、レンガ通りで残る店にもお邪魔。当時は、映画館や芝居小屋が立ち並び、賑わっていたといいます。酒屋で当時あったシステム「角打ち」とは?
写真館には、先代が撮影したという呉空襲のときの写真も実在。

さらに、呉の路面電車の路線も地図上に。明治42年開業した県内初の路面電車。当時の話を聞きながら、敷石が残る場所、切符売り場など、今でも残る痕跡を辿ります。
昭和42年に幕を閉じた呉市電、最後の電車を運転したという上田重助さん(95歳)も登場。

   
   

お問い合わせ

銘園 千茶荘呉
呉市本通3-2-15 0823-24-0220
昭和14年地図を包装紙に使っている。

五月荘(さつきそう)
呉市本通2丁目4-10 0823-21-5121
当時「メイ」と呼ばれていた料亭。海軍の電球、海図、辞世の句などが多く残る。

山城屋
呉市本通2-2-6 0823-21-2722
本通にある。昭和14年地図に記載され、今も残る。

稲田写場
呉市中通3丁目8-16 0823-21-4347
先代が撮影した呉空襲の時の写真が残る

ぼでじゅ(お好み焼き屋)
中通り3丁目8-16 0823-21-6330
宅見義喜さん(82)に、当時の話を聞きました。

井上一誠堂薬局
呉市中通4丁目4-14 0823-25-2121
昭和14年地図に記載されている店。