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ヒロシマの被爆者を代表する存在である

坪井直さん(94)

昭和20年8月6日、20歳の時に被爆。1カ月以上意識不明となりましたが、奇跡的に回復。教員となり、“ピカドン先生”と名乗って、生徒に被爆体験を語ってきました。

教員生活を終えて被爆者団体に入ると、その活動はさらに広がりを見せます。
原爆の日の総理への要望。アメリカや北朝鮮の核実験へ抗議の座り込み。2016年には広島を訪れたオバマ大統領とも対面し、被爆者の姿を世界中に知らしめました。
平成が終わり令和が始まったこの1年間、坪井さんは原爆症による極度の貧血のため、ほとんど外出ができませんでした。県被団協には「理事長代行職」が設けられ、原爆の日にすら、外出することはできませんでした。この20年以上、ヒロシマの被爆者の叫びを代弁してきた、坪井さんの声を聞くことはなくなりました。

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そんな坪井さんに、ホームテレビは、1年を通して、ひっそりと取材を続けさせてもらいました。 外に出ることはできません。体調の悪い日は連絡がつきません。会えた時には、「わしはあすにも死ぬるかもしれん」と、まったく笑えない冗談を口にします。
消えない原爆の記憶、原爆症で苦しんだ時代から後押ししてくれた教え子たちとの絆、思い入れのあった原爆資料館のリニューアル、平和宣言、そしてローマ教皇の広島訪問に思うこと…。

令和という時代の節目を過ぎ、坪井さんは何を伝えようとしているのか。
今もなお“ピカドン先生”であり続ける坪井さんの、懸命に生きた1年間を見つめました。