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「田中正夫」さん(79)

4歳のとき被爆し、家族を失った。
同時に本当の名前を知る人もいなくなった。
育ったのは「広島戦災児育成所」。
田中正夫という名前は、育成所でつけられたとみられる。
田中さんは家族がどこに行ったかわからない悲しみと共に生きてきた。

原爆で親を奪われた「原爆孤児」は、2000人いたとも6500人いたともいわれる。
育成所は被爆から3カ月後、孤児たちの様子に心を痛めた僧侶の山下義信氏によって創設されたものだ。
当時の職員は孤児の様子を毎日細かく記録しており、その貴重な資料は去年原爆資料館に寄贈された。
戦後孤児たちはどう生きてきたのかー
200点以上に及ぶ「山下資料」と育成所で育った孤児の証言から見えてきた。

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“本当の自分”を知りたい、家族に会いたい…田中さんの思いは今も変わらない。
被爆から74年、あらためて自分のルーツを捜し始めた田中さんにホームテレビは春から協力を続けてきた。
夏の放送ではルーツに辿り着くことはできなかったが、その後もわずかな情報を元に捜し続けている。
12月、高校生に証言をする機会が訪れた。彼らは田中さんの被爆体験を紙芝居にするという。
家族につながる可能性を信じて、過酷な運命を伝え残す―

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