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第4話 「絡み合う視線」

1993年。僕はその時、プラハにいた。

共産主義国だったチェコスロバキアは、チェコとスロバキアに分裂し、それぞれが民主化の道を歩もうとしていた激動の時代。民衆の誰もがまだ自由を謳歌しきれず、貧困に喘いでいた。
そんな中、僕はプラハ城から続くカレル橋を、アイスクリームを舐めまわしながら、闊歩していた。ある「視線」を感じながら・・・
それは、自由と富の象徴であるアイスクリームを見上げる子供たちの視線。
そして、子供たちを見下ろす、僕の視線。
その時、僕は、「視線は常に、意味を持つこと」を思い出した。

1年前の1992年。あの時、僕は東京にいた。

東海道新幹線に「のぞみ」が登場し、大事MANブラザーズバンドが「それが大事」を歌っていたあの時代。かつて高度経済成長の原動力となった団塊の世代が夢見た「東京」に、団塊ジュニア世代の僕もまた、「東京」に夢を求め、大学生活を送るため上京したのだ。
深夜バスで乗り込んだ東京。初めて足を下ろした場所は新宿。
この地に初めて訪れた者は誰しも、その巨大な高層ビル群を前に「見上げる」だろう。
そして、その見上げる視線には、「驚愕」、「感嘆」、そして「希望」の意味が込められている。
そう、巨大なこの街でいつの日か、自分も自由を謳歌したいという「夢」。


2007年。今、僕は広島にいる。

この街にもたくさんの人が暮らしている。
もちろん、見上げる「希望」の視線と、見下ろす「余裕」の視線は、今日もどこかで交わっている。視線には必ず「意味」があり、その視線が絡み合う瞬間に「物語」は始まるのだ。
広島とは、様々な意味の視線の交わる場所。
だからこそ、広島は面白いのかもしれない。
アイスクリームを頬張りながら、老若男女が行き交う初夏の本通りで、ふと、そう思った。

  • 11月11日生まれ
  • A型 さそり座
  • ICU 教養学部 数学専攻卒
  • 銀行員からTV業界へ転身した異色ディレクター
  • 好きな食べ物 すき焼・チョコレート・メロン
  • 好きな言葉 「移動距離とアイデアの数は比例する」
  • 将来の夢は直木賞作家
  • 現在、花嫁募集中

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