広島ホームテレビ

放送番組審議会

第525回

開催日:2023年4月21日(金)
【課題】
「LGBTQとわたし 虹の下のリアル」(2023/3/28放送)
出席委員(敬称略):

小川富之、河合直人、井筒智彦、大井美恵子、喜多村祐輔、木村文子、武井三聡子、東山浩幸

 

合評での意見

【総合批評】

  • 性的マイノリティ―の絶対数が少ない広島でもその存在を取り上げることで、違う世界の話ではなく、すぐ身近にも声を上げにくい人たちがいることの理解が深まったのではないか。
  • 性的マイノリティーの子どもや保護者を自治体や学校を巻き込んでみんなで支援していくことが、少しずつでも社会全体の理解を深めていくために大切だということが上手く伝わったのでは。
  • ディレクターが出演者でもあり取材側でもありという絶妙なポジションは、非常に称賛に値する。
  • テレビ局としても多様性をどのように視聴者にアピールしていくか。このテーマを継続して取り上げてほしい。
  • 例えば月に1回、何カ月に1回と定期的にLGBTQを取り上げる枠があってもいいのではないか。広島ホームテレビにも居場所があるよというのを社として示してくれてもいいのではないか。
  • 「登場人物が多かったので、それぞれの性的な課題、問題が伝わってきたが、それぞれの人たちを取り巻く環境とか制度の問題をもう少し掘り下げてほしかった。
  • 当事者の方々の苦しみを見ていて凄く苦しかったのだが、政治的な問題や旧統一教会の反対意見があるというのも全部ミックスして報道されると苦しい部分が大きくなる。それは、制作意図の「地方で穏やかな暮らしを求めている人たちの存在を知らせたい」という部分から少し離れてしまうのでは。
  • 旧統一教会系の関連団体に所属する男性が反対しているという説明が出てきたが、この男性はなぜ反対しているのか、もう少し男性の言葉を聞きたかった。また、こうした反対行動は団体を上げてやっているのかなど、もう少し突っ込んだ取材を別の番組で見てみたい。

【批評ポイント】
ディレクターの出演について。冒頭からナレーションの多くを担い、後段では自らの人生を語っています。報道では本来、取材者は黒子に徹し、取材相手を引き立たせるものですが、今回は取材者が観察する目線に加え、取材者と取材相手を結びつける理由として、自身の葛藤を描きました。その効果について、ご意見をお聞かせください

  • ディレクターが毎月開かれる会に参加して取材相手のことを本当に理解して、それを同じ目線でドキュメンタリーとして描けていたのは、取材相手の気持ちをより表現できる効果があった。
  • 広島で暮らすLGBTQの人たちとの出会いを通して、ディレクター自身が何を感じ取ってきたかが伝わる構成に仕上がっていた。そのディレクターが葛藤を抱えているからこそ、LGBTQのテーマを取材する理由が非常にダイレクトに伝わってきた。
  • 今後のテレビ番組とか新聞記事とかも、自分の立場に立って考えてみて思うこと、ディレクターや記者の顔が見える番組づくりというのは、視聴者と作り手を結ぶことができる一つの大事な要素になるのではないか。
  • ディレクターが性的マイノリティ―の人たちに寄り添った関係性のおかげで、この番組自体が全て成り立った。ディレクターが出演することによって全てが伝わってきたのが凄く印象的。
  • ディレクター以外の人のナレーションが入るのは、少しノイジーで混乱し、まとまりがない印象を受けた。
  • 終盤はディレクターがナレーションをしていた。しかし、ここは性的マイノリティー当事者を取り上げているので、ナレーションはアナウンサーでも良かったのでは。声が変わることで、現状の政治的な社会情勢の問題なのか、当事者が凄く苦しんでいる生活環境なのか区別されているのかよく分からなかった。

LGBTQなどの用語について。今回、「性的マイノリティ」「トランスジェンダー」などの言葉の頭に説明を加えず、そのまま原稿に盛り込みました。一方、登場人物たちが「生まれたときの性」「認識している性」などと自分で説明している箇所は生かしています。性をめぐる様々な表現の意味が伝わったか、ご意見をお聞かせください

  • より多くの人に理解してもらうためには、用語の説明もあった方が更に分かりやすかった。
  • 「LGBTQ」がそれぞれ何の単語の略なのかという説明があった方がいい。こうした用語は、いろんな人に浸透してほしいという願いも込めると、繰り返し番組で丁寧に説明していくことが大事なのではないか。
  • 当事者自身も上手く説明できない感情とか感覚があるのだと認識できるような内容だったのではないか。だから、用語はあるものの、実質、当事者たちもそれを上手く説明できないという事情もあるのでは。
  • LGBTQの用語については、もう一般常識みたいになっているので、このまま原稿に盛り込まれたことは良かった。
  • 説明があったほうがいいかは結構難しい。知識が不足している人には用語の説明はあったほうがいいと思うが、そもそも説明があまり簡単ではない。人によってはLGBTQIAと言ったり、違う言葉があったりする。中途半端に説明してしまうことで性的マイノリティーの方をその枠組みに押し込めてしまうという懸念もある。

【批評を受けた制作側の説明】

  • ナレーションは個人的な内容はディレクターで、ストーリーについてはアナウンサーとしたが、最後の所は、悠悟君との再会も含めてのディレクター目線ということでディレクターの読みにしました。
  • 自分自身が長く取材してきて、自分の中で当たり前になってきてしまっているところが多い。それを初めて見る人たちにも伝わるように説明するにはどうしたらいいだろうかと感覚を研ぎ澄ませることが、これから先もっともっと必要になってくる。

以上