広島ホームテレビ

放送番組審議会

第517回

開催日:2022年6月24日(金)
【課題】
特集「中学1 年生の決意~男の子として生きたい~」(2021年6月放送)
「中学1 年生の勇気~続・男の子として生きたい~」(2022年1月放送)
出席委員(敬称略):

前川功一、小川富之、大井美恵子、東山浩幸、見延典子、河合直人、藤本慎介、石井暖子

 

合評での意見

【総合批評】

  • (性的マイノリティに)身近で接する機会がない、詳しくない中で番組を視聴して、トランスジェンダーの子どもが具体的に悩みながらも明るく生きていくためには、まずは周りの理解とサポートが大切ということを十分感じ取れる内容だった。
  • まず家族が理解する中で、将来の進学や就職と成長していく過程においても自分らしく生きたいという決意が上手く描かれていた。周りの者がしっかり応援して理解しなければならないと感じさせた。
  • 主人公の悠悟さんが周囲から特別視されていないということが非常によく表れていた。
  • 見ていて安心感があった。ハッピーエンドで良かったと感じた。
  • このような成功例を見ることによって、こういう解決方法があるのだと知らされた。第二次性徴を止める注射や、同じような考えを持った人が集まれるコミュニティーがあることを視聴者に知らせるだけでも、トランスジェンダーが生きていく上でのヒントを与えられた。
  • このテーマを視聴者に本気で考えてもらおうという点では、番組の尺や、問題点を掘り下げる点でも足りないが、とにかくLGBTの問題を知ってもらおう、前向きに議論してもらおうという点では番組の趣旨に合った中身だった。
  • 法律がどういう手続きでどういう煩雑さがあって改正されたのか。そういう細かいことを紹介したら、すっと解決した問題ではないということが分かったように思う。
  • 番組を見る前に、色々常識を揺さぶられるのだろうと覚悟していたが、見終えると、上手くいって良かったねというたおやかな気持ちだけが残って、本当にこれで良かったのかなという思いになった。
  • 表面的なことだけで理解があるような風潮が見受けられる。そういうことに焦点を当てた番組も作ったらおもしろいのではないか。

【批評ポイント】
1.トランスジェンダーを主人公にした過去の映画やドラマは、生きる喜びより悲しみや苦悩に焦点を当てたものが目立つ。当事者からは、悲劇的な描き方に対し「実像と違う」と批判が寄せられてきた。本特集はそうした典型に陥らないよう、他の子どもたちと変わらない姿を映すよう心掛けた。一方、抱える困難を伝えきれていないかもしれない。「普通さ」と「特別さ」をどう伝えればより良い報道になるか?

  • ありのままの姿を映像で表現しており、それで良かったのではないか。
  • 困難さという点では、ところどころにトイレを我慢したといったエピソードもあったし、想像すれば、確かにこれから先も色々な困難が待ち受けていることは分かる。しかし、番組は尺が短いこともあって、その大変さが分からなない、伝わりにくいという面はあった。
  • 告白を受けて、それを理解して、どういうふうに周りの人が受容して消化していったかという流れが知りたかった。せっかく全校生徒に告白するというチャンスだったので、そこは知りたかった。

2.社会にはトランスジェンダーに否定的な人が少なくない。望まない性別での服装や言動を強制する親や先生、いじめの対象とする子どももいる。ネット上では近年、トランスジェンダーを攻撃するヘイト表現が問題化している。こうした否定する側は、本特集では存在しない。何らかの形で含めるべきだったか。

  • 母親が現実をすぐに受け入れられない葛藤があったということは表現されていた。
  • 主人公をサポートした先輩や、取材していた「ここいろhiroshima」(性のことで悩む子どもとその保護者のためのコミュニティスペースを運営)の利用者による経験談を盛り込む。
  • 否定する側を取り上げてしまうと、その対立や偏見をかえって助長してしまう恐れもある。それを入れなかったのは違和感はなかった。
  • トランスジェンダーに対する社会運動に焦点を当てた番組を見てみたい。それは否定的な表現や行動を取り上げるというのではなく、肯定しようとしていても、その方向でいいのかというようなこと。

【批評を受けた制作側の説明】

  • 悠悟さんの前向きな様子や、周囲から理解を得られて凄く生き生きとしている様子を中心に伝えたくて制作したものの、実際の苦悩は、おそらくこれから先の人生に待ち受けている。
  • 現実的には全くハッピーエンドではなく、これから先の長い人生のほうが、より困難が待っていると思う。機会があれば、そういう姿も追っていけたらいい。
  • カミングアウトしないと自分らしく生きられない、生活できない状態だということ自体が問題であり、そこを本人の勇気に頼ることなく、社会の側が変わっていけるようにしなければならないと悠悟さんの姿を見て改めて考えさせられた。
  • 全てのトランスジェンダーの人が自分の体にメスを入れたいと思っているわけではなく、胸を残したままでもいい、子宮を残したままでもいいけれども、社会的に目にされる自分の性別は男性として見てほしいという人もいる。そういうことが可能になっている国もあるので、そういったところも問題点として何か伝えられたらいい。

以上