広島ホームテレビ

放送番組審議会

第510回

開催日:2021年10月22日(金)
【課題】
「『オリヒメ』の向こう側~ALS元教頭が目指すもの~」(2021/8/29放送)
出席委員(敬称略):

前川功一、小川富之、大井美恵子、東山浩幸、見延典子、河合直人、藤本慎介、石井暖子

 

合評での意見

【総合批評】
<全体的な印象>

  • ALSの長岡先生と生徒たちの関係性を丁寧に描いており、見る人にALSへの理解を促すという意義があるのに加え、心が温まる作品になっていた。
  • 3年半にわたる長期の密着なので、長岡先生と生徒の両者の変化をとらえることができているのが興味深い。
  • 病状が悪化している中でも、オリヒメを使いながら「分身ロボットカフェ」で給仕をするという挑戦が主題の一つという前向きな内容で教師としての使命感に感動すら覚えた。
  • 病気がどんどん進行していき、ある一面、死へつながっていくのが映像としては見えてくる。ところが今度はこの人が凄く生き生きとしていて、色々な人と接触をしようとしていることと対比されている。この人の難病を見ることにより、私たちは、普段、普通だと思って何も感じてはいないけれども、それがいかに素晴らしいことかということを思う。
  • 在宅のヘルパーの需要性が高まっているにもかかわらず、介護職の賃金が日本は諸外国と比べて非常に低いことに大きな問題があると感じさせられた。
  • 人間は希望を持っていなければ生きていけない。先生も希望を持ちながら生きていらっしゃるのだろうと思うが、これからさらなる人生をどのように切り開いていかれるのかは、今後の次の番組に期待したい。

<今後の課題とする意見>

  • 過去の映像と現時点の映像が混在していて、若干行ったり来たりしたように感じられた。
  • オリヒメそのものの基本情報を知りたかった。どのような機能があり、どういう仕組みで遠隔操作できるのか、専門的でなくていいので、ロボットとしてのオリヒメとその開発過程について簡単な説明がほしかった。
  • 介助ヘルパーが不足している問題を訴えることも、この番組の意図ではないかと思うのですが、その部分がややあっさりしているように感じた。

【批評ポイント】

「分身ロボットカフェ」や「マツダスタジアムでの始球式」を描くことにより、ALSと主人公を取り巻く環境の変化を表現しようと考えましたが、いかがでしたでしょうか? また、主人公が様々な活動を続ける理由は表現できていましたでしょうか?

  • 先輩から後輩へ、小さなことを積み上げて大きな志に向けて一歩一歩進んでいく姿や、高校生たちの成長といったものを重ね合わせることで、病気が進行しながらも主人公が未来への希望に向けて取り組んでいるところが上手く表現されていた。
  • 教え子の働きかけで卒業式などで外へ出ていくようになり、自らALSの講演を行う。そしてその後には、カフェで視線の操作で接客をするといった、外に出て行こう、働きかけていこうという長岡さんの変化が上手く表現できていた。
  • 様々な活動を続ける理由は、病気のことをもっと知ってもらい、ヘルパーになる人を増やしたい、と本人の話が紹介されていた。ただ、どのくらいヘルパーの介助が必要なのか、ヘルパーに遠方から来てもらうことがどのくらい大変なのか、ヘルパーがいないとどうなるのかなど、もう少し具体的な話があれば、より納得感が増した。

一方、前作と比べ、この病気による苦悩を表現しきれなかったのではないかと感じています。どのように表現すべきだったかご意見をいただきたいと思います。

  • 長岡先生が、呼吸も会話もできた激励会の時から、だんだん顔が動かせなくなり、声も失い、最終的には口文字と視線でしか意思表示できなくなるという変化が映像ではっきりと出ているので、この病気の大変さも描けていた。長期にわたって密着取材をした成果。
  • これで十分だった。体の自由を失って車いすで介護を受けながら生活する苦しさをとことん追究して画面に出すことは人間の尊厳にも関わる問題なので、この程度の表現のほうが、むしろよかったのではないか。
  • ご本人の病気による苦悩の部分がやや薄いように感じた。例えば、ご本人が活動していないときの様子、日常の様子ももう少しあってもよかったかもしれない。
  • 精神的な苦悩については、もう少し表現してもよかった。呼吸器を選択しないということは、死を選択するというのに近いと思う。この先生は、呼吸器を付けた後、非常に苦しい生活を強いられるわけだから、どちらを選んでも大変な苦労が予想される。その辺は少し表現があってもよかった。

【批評を受けた制作側の説明】

  • 話が行ったり来たりという構成は結構苦労したところで、本当は家族の表情とか、ほかの要素も入れようという考えもあったが、これ以上入れると話が分からなくなる。どこをそぎ落としてどこをどうしようということも考えながらやり、古い映像が入ったときの分かりづらさをどうしていくかというのを課題として考えていきたい。

以上