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Home > ESSAY -エッセイ- > 第43話 「人生の編集方法」
どんなに経験を重ねても、どれだけ修羅場を潜り抜けても、僕には、なじめない瞬間がある。
「初対面」。
心の中では、適度な緊張が己を支配し、頭の中では、相手を分析するためのプロファイリングが繰り返される。
時間にして、ものの数秒といったところだけど、僕には永遠にも感じられる濃い時が、あたりを包み込む。
そしてさらに、どうやっても逃げ切ることのできない「儀式」のようなものが、ふと、始まる。
「自己紹介」。
今まで生きてきた人生を、ほんの数分で語り、相手に分からせなければならない「儀式」だ。
名前、肩書き、そして、ちょっとだけウィットの効いたジョーク。
別に、自分の人生に恥ずかしい事は無いのだけれども、僕の口調は、たどたどしくなり、なんだかむず痒くなる。
彼女と初めて出会った時も、そうだった。
初々しいけれど、凛とした彼女の姿を目の当たりにし、僕の呼吸は乱れ、心拍数は急上昇。
緊張のあまり、彼女に語るべき「物語」の糸口さえ見付けることができない。
「アイデンティティーの崩壊」。
アイデンティティーとは、「自己の存在証明」と解説されている哲学・心理学用語だ。
簡単に言えば、「僕という人間は、こうなのだ!」という「価値」を見出すことなのかもしれない。
僕は、青春時代という「モラトリアム」の中で、読書を通じて自己と「対話」し、社会と接しながら自分で「判断」し、友人との触れ合いの中で自分の「意味」を見出し、アイデンティティーという「自己の存在証明」を目指してきた。
その経験から、なんとなくでも、「僕」という人間の「思想背景」や「感情の源」や「思考の論理」を理解していたつもりだった。
しかし、その瞬間、彼女の「存在」が、僕の「存在」を凌駕したのだ。
それでも僕は、彼女に、今まで生きてきた人生を、ほんの数分で、ゆっくり語り始める。
僕は、フロリダで生まれで、日本中を駆け回っています。
僕は、デカルトの「方法序説」という本に影響を受けています。
僕は、毎日、青汁を飲んでいます。
僕は、「怒る」という感情が少なく、「喜ぶ」という感情を大切にしています。
僕は、絵ハガキを海外から送ります。
僕は、甘いものが好きだけど、「ツブアン」よりも「コシアン」が好きです。
僕は、親友と呼べる人間が二人います。
僕は、時々、嘘を付きますが、その嘘は、みんなを喜ばせるためのものです。
僕は、カレーが好きだけど、「今夜もカレーかよ!」って言っちゃうかもしれません。
僕は、約束を守ります。
僕は、暗記している「詩」が、一つだけあります。
僕は、新しい「人生の編集方法」の確立に、生涯を捧げます。
もしかしたら、「自己紹介」とは、自分が生きてきた何十年もの「時間」や「物語」を、切ったり貼ったりしながら、喜怒哀楽という「プロット」をはめ込む「人生の編集」なのかもしれない。
ある哲学者は言いました。
「アイデンティティーとは、他者に語る自分の物語である」、と。
僕は、自己紹介をする時に、「過去形」は使わずに、「現在進行形」で伝えるようにしている。
なぜならば、一つ、また齢を重ねる毎に、一つ、また出会いを重ねる度に、僕たちの「物語」は、また新たな局面を迎えるのだから。
僕は、ちょっと、おしゃべりなのかもしれません。
それでも彼女は、僕の物語をほほ笑みながら聞いている。
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