【一言コメント】
今日の「イチオシ」は、「原爆」を境に疎遠になった2人が同窓会を機に62年の空白を埋めたお話です。
62年の空白埋めた2人
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元平和記念資料館長で被爆証言者として知られる高橋昭博さん(76)=写真左、広島市西区=には長年、自分の証言をぜひ聞いてほしい人がいた。旧制中学時代の無二の親友、木村一三(かず・そう)さん(75)=写真右、南区=だ。その願いが先月末、思いがけなく実現した。(武田肇)
太平洋戦争中の1944年、2人は当時「市中(し・ちゅう)」と呼ばれた広島市立中学に入学した。高橋さんは海軍少年航空兵にあこがれる愛国少年、自宅が商家の木村さんは戦時色になじめない、どちらかといえば気弱な少年。それでも「どこかウマがあって」(高橋さん)互いの家を行き来していた。
原爆が2人の関係を微妙にした。高橋さんのクラスは爆心地から約1・4キロの学校の校庭で朝礼中に熱線を受け、60人のうち50人近くが亡くなった。高橋さんも背中や両手を焼かれ、生死の境をさまよった。木村さんのクラスは被爆の約20分前に学徒動員先に向かうために汽車で広島を離れ、難を逃れた。
木村さんは、終戦後まもなく高橋さんを見舞ったときの気まずさが今も忘れられない。「化膿(か・のう)した背中をさらして苦痛に顔をゆがめる友の姿に、かける言葉が見つからなかった」。高橋さんも押し黙っていた。2人が互いの家を行き来することはなくなった。
再び心が近づいたのは今年5月の同窓会だった。「年を重ねたことがわだかまりをなくしてくれたのでしょうか」と木村さん。それから4カ月、62年の空白を埋めるように、頻繁に食事をしたり電話をかけたりする関係になった。
被爆証言を聞くことは木村さんの希望でもあった。9月29日、資料館を訪れた各国の外交官約40人を前に高橋さんが体験を話す会に同席し、時折目を閉じながら聴き入った。知っていることも知らないこともあった。昔は心穏やかには聞けなかった場面も、最後まで聞くことができたという。
「つかれちゃったやろー。あんたは体が強うないけん、心配しとんのや」。木村さんが気遣うと、高橋さんは首を振った。「今度一緒に旅行に行きましょうや」。まもなく被爆証言が千回を超えるという高橋さんは少年に戻ったようにはつらつとしていた。